|
第1回 POLAR 〜 北極圏 10年間の旅の軌跡
七大陸の世界最高峰登頂の世界最年少記録を塗り替えたり、北極から南極までを人力で踏破するなど数々の偉業から、「若き冒険家」と評されることが多かった石川さん。
極限への挑戦を続けてきた彼は、しかし「日常の延長としてただ歩き続けているだけですよ」と語ります。
今回は、10年前から足を運び続けて来た北極をテーマにまとめられた最新の写真集『POLER』のお話を中心にお伺いしました。(インタビュー/文 吉田タカコ)
生きていることに意識的になれる場所
—11月に出版されたばかりの最新写真集『POLAR』では、厳寒の地、北極がテーマになっていますね。私たちにとって北極というのはとても遠く、なじみのない場所ですが、石川さんは何度もその北極に通い続けています。石川さんにとって北極とはどういう存在ですか?
五感の全てを開かせてくれる場所であり、知覚が研ぎすまされて、生きているということにすごく意識的になれる場所だと思います。
東京のような街で暮らしていると、何もしなくても惰性でどんどん時間が過ぎていってしまいますが、北極にいると、自分が今いる世界やその環境に対して常に意識的でいなければいけない。僕自身、そういう場所にはなぜかとても惹かれますね。
—北極圏というと1年中氷に閉ざされていて、凍てついた光景ばかりが広がっているイメージがありました。でも石川さんの写真は輪郭や色、ディテールがくっきりとしていて、北極圏が単に荒涼とした世界なのではなく、さまざまな表情を持っているのだと知ることができました。
そうですね、北極圏というと、いったことのない人にとっては非日常なのかもしれないけれど、そこには神話の時代から生活を続けている人たちがいて、彼らにしてみれば、まさに北極の暮らしが日常なんですよね。
世界ってどこもそういうふうにできていて、僕たちが勝手に辺境とか未開の地などと思いこんでいる場所も、実際は人が暮らしているし、彼らにしてみれば東京なんかのほうがよっぽどおかしな場所に見えるかもしれない。そう考えていくと、辺境というのは個々人の心の中にしか存在しないし、その代わりに中心が無数に存在しているじゃないかと思えてくるんですよね。
そういうふうに世界を見ていくと、なんだか見慣れた世界地図が違って見えてきますよ。
—ご著書『いま生きているという冒険』では、「未知の領域は実は一番身近な自分自身のなかにもあり、また、現実を超えたもう一つの世界がすぐそばに存在していると思う」とお書きになっていますね。
冒険をしているっていう感覚が自分のなかにあまりなくて、ただ旅をしているというつもりなのですが、突き詰めていくと、場所なんてどこでもいい。○○登頂とか××横断ということにはあまり意味がないでしょう。自分にとってそこに行くことが大切だと思えればそれでいいんじゃないかと。いまは肉体的な旅より精神的な旅のほうに興味があります。地理的な空白はなくなっても、自分自身のなかに未知のフィールドはたくさん残されていますからね。
—でも、ありとあらゆるところを踏破している石川さんの目には、日々の生活でもいろんなことが見えているんじゃないかと思うんですが……
いえ、別に普通ですよ。映画を観て「いいね」と話したり、展覧会を見に行ったり、本を読んだり。まったく特別なことは何もないです。
あるがままの世界を正面から受け入れてゆく
—苛酷な環境に身を置く旅から東京に帰ってきて、違和感を感じるときはありますか?
特にはないですね。はじめてインドに行ったときなんかは、そんな感覚もありましたが、今はどこにいても旅人の視線になっちゃって、それぞれの土地を客観的に見ているのかもしれません。
北極に行ってもどこに行っても、それは変わらないです。ただ、日本は物質的には恵まれている国だなあとは思いますよ。ホテルでもどこでも食べ残しの食事なんかは平気で捨てられちゃうし、賞味期限が切れたおにぎりもすぐにゴミになっちゃう。いろいろな場所でひもじい思いをしてきたので、そういうのを見ているとなんだかなあ、と思ったり
—バックパッカーをして日本に帰ってきたときに、社会復帰できなくてドロップアウトしてしまう人もいますよね。そんな感じにはならないですか?
僕はいわゆるバックパッカー体質ではないのかもしれません。
自然も好きだけど、都会も好きだし、日本も海外も好きなところもあれば嫌いなところもある。ぼくは世界そのものが好きなんです。あるがままの世界を正面から受け止めて、どこにいようが、誰でもない一人の自分として生きていく。それだけなんですよね。
(第2回へつづく)
|