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-今回『ぼくは小さくて白い』を出版されまして、年末に絵本を作りたいと伺っていましたがずいぶん早くできましたね。経緯を教えてください。
朝日新聞出版社の編集の方にとても気に入っていただいたというのが大きなきっかけですね。小さい頃から将来おばあちゃんになったら海辺の別荘とかに住んで絵本が描けたら幸せだなと思うようなタイプだったんですが、こんなに早く絵本が作れるとは想像をしていなかったんです。
元々作りたかったのは絵本というより文章のなかに挿絵が入っているようなイラストブックだったんです。実務的、実用的ビジネス書も好きなんですが、もっとシンプルな言葉でストンとメッセージが心に入る、そういう本を作りたいと思っていました。
絵本という形にした理由は、絵本作家を目指しているというわけではなく、ただ、いろんな表現がしたかったんです。本を滅多に読まない方、活字が苦手な方にも、絵と一緒に簡単な言葉を通じて、勇気を持って前に進んで行こうというメッセージが届けばいいなと思ってこの形にしました。
-いつ頃から考えていらっしゃったんですか。
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年前ぐらいから思いついたときに物語を書いていたんです。物語が20作ぐらいになったときに初めて他人に見せました。絵本なのか童話なのか、そのときには具体的に本になったイメージは想像していませんでした。それで、去年から動きかけてストップするという状態でした。形にならないし出版社も絵本をやるんだったらビジネス書を書いて欲しいと思っていらっしゃるでしょうから。
たまたま朝日新聞出版社の編集の方に見せたときにペンギンの話をすごく気に入ってくださいました。「じんわり泣けてきた」とおっしゃるんです。自分が書いた中にはもっと好きな話もあったんですが、その編集の方と話をするたびに「絶対ペンギンで、絶対ペンギンで。」と言われまして。それで、トントン拍子で形になっていったんです。
-年末のインタビューで絵を勉強し始めたことをうかがいましたが。
絵を自分で描けたらいいなと思ってスケッチブックにペンギンをいっぱい描いて持っていったんです。挿絵の入った本というより絵本がいいということになって、でも、絵は勉強を始めたばかりですので背景の色が入れられない。だったらイラストレーターを頼もうということになりました。私の描いたキャラクターはこれなんです。それを元にイラストを描いていただきました。かわいくなりました。
-中身についてですが、ひと言ひと言が和田裕美ワールドを端的にあらわしているように思うのですが。
分かりますか。
-分かりますよ。答えそのものがメッセージで余計な飾り言葉がなくてすごく分かりやすい。
自分のモチベーションを上げるために膨大な量の活字を読んでいらっしゃるような方もいらっしゃると思います。前にもお話しましたが私も成功哲学の本をたくさん読みました。でも、最近思うのですが、自分の身になったなと思えるものは無理に暗記した言葉じゃなくて、印象として残っていることだと思うんです。無理に暗記した言葉は知識としてひけらかすことはできても感情として表現するのは非常に難しいと思います。感情として表現することを求めていらっしゃる方に届けばいいなと思っています。
-本の一番最後のページに「今は亡き母に感謝を込めて」と書かれていますが。和田さんのお母様はどのような方だったのでしょうか。
私は母に「あれやりなさい、これやりなさい」と怒られた経験がないんですよ。私が何かできなかったとしても「まあ、いいやん」って。
私が小学校5年生か6年生の頃鍵っ子だったんです。決して家庭円満ではなかったんです。それを知っている占いをかじっている近所のおばさんが、「あんた、このままいったら不良になるよ」と言われてショックを受けました。それを母に訴えると、母はおばさんに怒るわけでもなく、「不良になったらいいやん。別にあんたの人生やから、一番困るのはあんた。ママは何にも困らへん」って。自分が不良をやりたかったらそうすればいいし、自分がそういう人生がいやだったら勉強すればいいし、自分の人生だから親が困るとか困らないとかで生きてはいけない。どんなに不良になっても母は何も困らない、娘の人生は娘の人生だ、とそういう母でした。そう言われると逆にちゃんと生きようと、そんなふうに思わせてくれるのが上手な人でした。
そんな母が私は大好きでした。すごく愛に満ち足りた人で、ずっとそばにいるのが母親というのではなくて、大きな愛で包むのが母親なんだと思っています。
-お母様の影響を受けられているんですね。
本の帯にも書きましたが、小さくて白いペンギンは幼い頃の私なんです。私は子どもの頃、コンプレックスを抱えていました。姉が優等生で勉強もできてスポーツもできて。一方、私は運動神経が鈍くて、給食も食べられない、人としゃべれない。姉を見ると自分は全部できない。でも、母に「おねえちゃんができるのに」と比較されたことはないんです。それは、母が私の欠点を長所として見つけてくれていたからだと思います。
走るのが遅かったら後ろで誰かが転んだら起して上げる役割だとか、自分だけ色が白くて仲間はずれになっちゃったと言われたらかくれんぼが一番になれていいじゃないという話があります。
「あれしなさいこれしなさい」ではなくて、「そのままでいいよ」、とそのままで十分魅力的だから勇気を持って生きていきなさい、というような感じで母の影響を大きく受けています。
そこに母の大きな愛を感じたからですし、そのお影でちゃんと生きて自立することもできました。だから、それを今度は私のメッセージとして皆さんにもお伝えしたいと思いました。
-今お母様のためにされていることは。
神棚の横に大きなお茶碗にお茶を淹れています。朝一回、熱い緑茶をどんぶり茶碗に淹れて神棚の左側に置いています。祝詞を神棚の前で挙げて、お茶碗の前で般若心経を挙げます。それは母のためなんですが、母だけじゃなくて、おじいちゃんもおばあちゃんも自分の周りでなくなった人の名前とご先祖様いつもお守りいただきましてありがとうございます、と手を合わせるのが毎朝の日課です。ちょっと変わっていますかね。でも、決してスピリチュアルなことに支配されているわけではないですよ。そういうことではなくて、「ありがとう」と言うのが好きなんです。
-本の中でお日様が何を表しているんだろう、と。そのまま素直に受け止めればお日様なんでしょうが、和田さんの中ではお日様というのは何を表しているんでしょうか。
いろんな意味があるんでしょうね。たとえば、必ず朝が来るというメッセージだったり。どんな人にも必ず朝が来て、がんばろうと思った瞬間にお日様が必ず自分の方に差してきて、そっちに向かって元気に歩いて行こう、そこに向かって行こう、不況であったりつらいことがあってもそこに向かって行こうということです。お日様はみんなを平等に照らしますよね。
もちろん天照様という日本古来の日本で一番お偉い神様は太陽の神様ですし。天照様、太陽の方向に向かって行けば気分も明るくなると思うんです。
最後に太陽を持ってきたのはどんなに辛くても最後が明るいと全部ハッピーエンドという気持ちはあります。
-精神的支柱に向かっているイメージかと思っていたんですが。
精神的支柱といった大げさなものではないのですが、私は毎日神棚に手を合わせますし、祝詞も全部覚えています。意識しなくてもそうなります。もう十年ぐらい神社に通って、毎朝神棚に向かって祝詞を挙げて、お榊の水を代えてというのをずっと続けているんです。私にとって手を合わせるというのは日常の所作の一つなので特別なことではないんです。太陽を浴びると元気になるんです。意識して「神様助けて~」ということではなくて心にそれがあるんでやっぱり太陽になってしまうんです。
元気がない人をもお日様が出てきてちゃんと暖かく照らしてくれるというのは神様の力だと思います。
-ではこの本に対する想いと読者の皆様にメッサージをお願いします。
この本は大人の方に読んでいただきたいと思って作ったんですが、本が出てから子どもさんにも読ませたい、という思わぬ反響もありました。大人向けですから漢字にルビを振ってありません。ですから、お子様と一緒に読んでいただくにはお父様お母様の手でルビを振っていただきたいんです。それによってお子様にとっては大好きなお父様お母様の字が書いてある世界に一冊しかない宝物になると思います。
まだまだ、よちよち歩きのペンギンなんですが、たくさんの皆さんの心に届くようにこれからも応援してください。
-ありがとうございました。
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