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-本日は、本当に有難うございます。よろしくお願い致します。昨日(1月14日)の朝日新聞に古井由吉さんのインタビューが載っていましたが、お読みになられましたか?
ええ、読みました。古井さんは「自分の読者として7000人、あるいは8000人の人が待っていてくれると考える」と。僕は深い印象を受けました。世界中で、いわゆる文学をやっている人で自分の本が確実に7000部、ないし8000部売れると言うことができる作家は、少ないと思いますね。とにかく日本の純文学でそう言える人は。僕なんか、そう言う自信ないですよ。
アメリカでも、今7000部や8000部売れるなんてことを信じている人は少ないと思う。純文学の読者というのは、限られているものなんです。ところが、確実にその作家がいいということを信じている人たちがいるので、それが今500人でも1000人でもいたら、その人は文学史に残っていくと信じています。
-その作家を(新作を)待っている、必ず購入する、そして読むという読者ですよね。
ですから、日本の場合、古井由吉さんのように非常に水準の高い、高度な文学者が出版するために7000人ないし8000人の読者を期待し得るというのは、非常に大きいことなのです。日本人が誇りにすべきことだと思いますね。私も彼の読者のひとりです。
-はい、有難うございます。では、来ていただいた著者の方にお聞きしている質問なんですが、丸善の印象をお話していただけますか
僕は王子に下宿していて、そこから路面電車に乗ると、東大の前を通って、東大農学部、赤門前とあって、終点が丸善の前だったんです。先生から、丸善というところで洋書が手に入るといわれて、とにかく、東大から路面電車に乗って丸善に本を買いに行くというのが、学生の時。この本を読もうという本は、丹念にそこ(洋書売場)に行って英語の本や、フランス語の本を探して・・。英語の詩、フランス語の小説を読みました。おもしろいのは、専門の先生方が本をフランスやアメリカに注文されると、同じものが3冊、4冊取り寄せられるようなんです。そういうもの(本)がそこ(洋書売場)にある。それを僕は買うのです。今でも持っているもの、何冊もあります。
-先程、洋書を3冊ご購入していただきましたが・・・。
今は、本当に夢のようです。作家の名前、ABCのアルファベット順に分類されていて、壁面を全部うずめていて、そこを見ていけばいいなんていうことが。昔は・・どうでしょうかね、1つの壁に1つの棚くらい、例えばペンギンブックスなんかありましたね。そういえば、時々ペンギンブックスの在庫を全部安売りしてくださるフェアがよくあったんです、丸善は。それはよく行きました。
それからね、丸善の地下にレストランがあったんです。そんなに高くないフランス料理だとか。田舎から母親がやってきたとき、原稿料をもらったので、その路面電車に乗りましてね、東大前に着くと「ここがお母さん、東大だよ」と言って、それから丸善の地下に行って食事をしたんです。そのときに、殻に入ったカキが前菜としてあったんです。それは珍しいことですけどね、東京では。僕は1935年生まれで23歳でしたが、1958年ぐらいの東京で、丸善の地下のレストランで前菜にカキが出て、母は非常に喜んでくれた。それから・・・ライスカレーを食べたんじゃないかな・・・。お店の人たちは非常に親切でしたよ。母は、田舎に帰って、僕の妹に、東京に行ったのだから、東京らしいお蕎麦屋に行きたいと思っていたけれど、あの子はレストランに、それも丸善の地下のレストランに連れて行ってくれたのよと言っていたそうです。それが丸善の印象。今はありますか、レストラン?
-日本橋店は、3階にレストランがあります。
ああ、そうですか。50年前は、地下のレストランだった。
母は、僕が小説家になったので、心配してやってきたのです。それで、僕が尊敬している渡辺一夫先生にお会いしたいと言うわけです。先生のお宅は本駒込でして、やっぱり路面電車の通路。僕は、先生のところに母親を連れていって、ご挨拶を。そのとき、母が先生に「息子は学者になりたいと考えていて、学者というものを自分たちは尊敬しているので東京の大学に行って勉強するということ、誇りにしておりましたが・・・今度、小説家になるって言って・・・大学は、そういうふうに学生を教育するところなんでしょうか?」と言いまして。渡辺先生は「私はそのように教育するものだとは思いませんけれど、大江君は学者になるより小説家になったほうがいいと思います」とおっしゃったんですよ。
-渡辺先生が、学者じゃなくて小説家として大丈夫ですよとおっしゃったので、お母さんは安心されたのでは・・・・。
いえいえ、「大丈夫」と言ったのではなくて、「学者になるよりは小説家になるほうが大江君には向いていると思います」と言われた。それは結局、非常に明瞭に、僕も学者になることはできないと思っていましたから。学者として生活することはできないと。
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人か2人ですよ、学部で外部へ就職できる人は。学者になるといっても学者になる実力を持った人は、何人かいて、僕も大体わかっていましたから・・・。それでほんとに大学に行くことを断念して小説を書き続けることにしたわけですが・・・母は(学者にならないことを)がっかりしていたと思いますよ。
-元旦の新聞のインタビュー記事、「再読する」ことについてお伺いします。印象深い記事で、読書における、「再読する」ことの意味、重要性を感じたのですが。
再読するということ、「リ・リード」ということを英語で言って、これが重要だということをカナダのノースロップ・フライが言っていて、彼は『Fearful Symmetry』(『恐怖に満ちた平均』)という本を書いた有名な評論家です。そのノースロップ・フライは、(「再読」は)最初に読むときは言葉の迷宮をさまようことになりがちなのに、2度目からは、それは「クエスト」という「探求」というものになって、自分が望んでいた、もう1度発見したいと思うものを「探求する読書」になる。それがいちばん重要なことなのだと言っています。「最初は海図がなしに海に乗り出すようなものだが、後は海図があるようなもの」というようなことも言っていますが、いちばん重要なのは、その「クエスト」を自分がやることなのだと書いていて、それは本当に正しいと思っています。
(お話にある、「再読する」(「リ・リード」)については、2010年1月19日 朝日新聞・朝刊にて、連載中の「定義集」にくわしく書かれています)
-大江さんは昨日(14日)、池袋の書店でサイン会をおこない、本日(15日)も丸善にて100人の読者が待っています。こういったサイン会で、実際の読者とお会いになる気持ち、読者の顔が見えるということについての感想、お聞かせください。
これね、よくわからないのです。僕が今まで考えていたことは、日本の文学、純文学には確実な読者が1000人なら1000人というふうにおられて、読者たちは、自分と同じ年代だという印象を、30代半ばまでもっていました。ですから20代のときは、もちろん自分と同じ年代の人たちが読むわけです。そういう人から手紙が来ました。それをずっと続けてきて30代半ば、『万延元年のフットボール』というのを書いて、それはやはり同じ年代の人たちに読んでもらいましたが・・・。自分の同級生を見ていても、30代後半になると、自分の専門の学者になったり、あるいはサラリーマンとして仕事を始めたり、新聞記者になったりして、もう新しい小説を読むということはないんじゃないか、と。だから僕たちは純文学の人間で30代後半というのは、かなり苦しい人生を歩むものじゃないだろうかという気持ちを持ちましたね。
-はい。まだまだ、たくさんのお話伺いたいのですが、すでに100人の読者の方々が並んで、お待ちになっています。どうぞ、サイン会場へ、お願い致します。本日は、有難うございました。
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