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知の巨匠たち 早稲田大学 西山清教授~『イギリスに花咲くヘレニズム』

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西山 清 (にしやま きよし)
1949
(昭和24)、東京都に生まれる。 早稲田大学大学院文学研究科英文学専攻博士課程中退。 同志社大学専任講師を経て、早稲田大学教育・総合科学学術院教授。学術博士。専攻、イギリス・ロマン派文学

早稲田大学西山清先生ホームページ

早稲田大学オフィシャルサイト

「知の巨匠たち」第3回は早稲田大学教育学部教授 西山清先生です。西山先生は『イギリスに花開くヘレニズム』(丸善プラネット刊)の中で19世紀初頭、ギリシャのアテネからロンドンへもたらされたエルギン・マーブルと呼ばれる大理石群像を紹介され、その群像の ヨーロッパ造形芸術・文学に対する影響を論じられています。本インタビューでは『イギリスに花開くヘレニズム』のお話と先生のプライベートにまで迫りました。

-まず、最初に丸善との思い出、丸善の印象等、どのように感じていらっしゃるかをお聞かせいただければと思います。

 もう随分長い付き合いで、特にこれというエピソードもないんですが、10何年も前に何度か『學鐙』に執筆をしたこともあるし、私の本を『學鐙』で宣伝してもらったこともあります。だから、丸善で本を買うというよりも、『學鐙』を通して丸善との関わりを持っている体験の方が記憶に残っているんですよ。

学部の図書委員をしばらくしていた時代がありまして、図書委員会で購入が決まった大型の本を丸善を通して入れてもらったりしたという、そういう記憶もありますね。

 私が今お願いしているのは、イギリスの『チャンピオン』という新聞の復刻で、これができればロマン派の研究に本当に助けになると思います。だから、丸善だとそういうお願いもできるし、そういう意味では随分いろいろと昔からお世話になっているんですよね。

洋書新刊案内のカタログを毎月送っていただいていますが、あの形でやっていると行き詰まりが来るような気がするので、丸善なりの独自の視点で大型の企画を立てて、例えばロマン派ならロマン派の中で抜けているようなジャンルを掘り出してきて、その復刻版を作るというようなことをしてはどうかと思うんです。

大型の仕事ができる、細かい仕事ができるというのは、やはり古いおつき合いの本屋さんでないとお願いできないですからね。

-店舗とのお付き合いは。

ああ、そうですね。日本橋店の。洋書をよく見に行きましたけどね。新しいお店はまだ行ったことがないんです。昔の店、文具売場とか、屋上のハヤシライスのレストランなどの思い出はあるんですよ。あと、あの頃、詩の朗読のレコードとか、テープを売っているコーナーが丸善にありましたよね。今もあるんですか?

-詩だけではなくオーディオブックという本を朗読したCDのコーナーがあります。

 イギリスだとヴァージンなんかもそうなんだけれど、詩の朗読のコーナーがあるんです。その昔はレコード、それからテープ、今はCDになりましたが、そのコーナーに詩の朗読のCDがあって、そういうところへ行って自分の好きな詩のCDを買ってきて朗読を聞けるというような利便性があるんです。

日本橋店ではレコードを買ったり、テープを買ったりしたという記憶があるんです。

-先生が、学生のころ、丸善に来られていたのはいつ頃ですか。

 昭和40年代前半から……。私が学部に入ったのが43年で、ここの大学院の博士課程を出て同志社大学に就職したのが1980年ですね。68年から1980年まで何か学内をうろうろして。(笑)

―同志社大学。では、京都にいらっしゃったということですか。

 そうです。

-河原町にあったお店はご覧になりましたか?

 行っていましたよ。お店の人とも仲よくしていました。河原町店は同志社大学から歩いていけますからね。

-では、どんな書店が一番印象に残っていますか。

 心に残っているのはセカンドハンドの店なんです。例えばロンドンのチャリング・クロスの通り、それこそハリー・ポッターたちが魔法の本を探して歩いたような、あんな感じの古本屋がチャリング・クロスの通りにあるんですけれど、ああいうところが便利というか、いい本が確かに並んでいるんですね。床から天井まで並べてあって必ず梯子が置いてあるんです。自分で梯子に登って上の方の本を探して持ってくることができる。

カウンターに店のおやじがいて、その後ろに開放されている扉があって、その後ろが書庫なんですよ。書庫に入って中を見たいと言うとすぐ見せてくれるんです。「自由に見てくれ」と。表に出てこないような本までそこへ入って好きなだけ見ることができます。日本の古本屋でそこまでやっているというところは知らないですね。ロンドンだとそういう店がほとんどなんですよ。

 チャリング・クロス通り沿いの店なんですけど、そのほかの店でも、例えばフォイルズもそうです、それからピカデリーにある本屋でも。小さい店でもそうなんですが、大きな店でも。

そのスタック(書庫)をちょっと見たいんだけれども」と言うと、「どうぞ、どうぞ」と案内して見せてくれるんですよ。

鍵がかかっていた場合「開けてくれる?」って言うと、すぐ飛んできて開けてくれて、「どうぞ、どうぞ」という具合に。とにかく本と客の間に距離を置かないという、あれがいいんですよ。だから、どんなに高い本でもすぐ手にとって見たいというのがあれば見せてくれます。

オックスフォードにも古本屋がいっぱいあります。オックスフォードで本を探していて、十何軒回って見つからないからもうやめようかと思って入った1軒の店の奥の鍵のかかった書棚に、探していた本が見えたんですよ。「あっ」と思って店番のお姉さんに「バインディングがよかったら買うから」と言ったら、大切そうに出してくれたんです。大切そうに持ってきて、「どうぞ、ごらんください」と言って出してくれました。バインディングが良かったので買うことになって。

そういう具合に、いかにも高そうに置かれているところであっても、実際は距離がない。そういう本屋はいいですね。

-オックスフォードにブラックウェルがありますよね。

 そうです。ブラックウェルは大きい。それから、今、のしてきているのがウォーターストーン。あれも大きい本屋ですね。でも、ウォーターストーンなんていうのは距離がありますね。昔の店に比べると、近代的なだけあってちょっと冷たい感じがします。ロンドンにいるだけでも、その違いというのは分かります。本はやはり高い物であればあるほど手に取りたいですよ。

-今、日頃、本屋さんにおでかけになることはありますか。

 出かけますけど、何か仕事をしていて、「あっ、この本読まなきゃ」と思ったら、今はアマゾン検索してあればと。まず大学の図書館を探して、図書館にあれば図書館に注文するけれども、なければアマゾンに。結構ありますからね、アマゾンも。こんな本ないんじゃないかと思うようなものもあるからそうなりますね。

だから暇があるとき、たまたま本屋の前を通りかかれば、ぶらついてみようかなんていうことはありますが、本屋さんを目的に出歩くということは、この頃はないですね。

-では次に、心に残る1冊というのがございましたらお教えください。

 これは難しいですよ、1冊というのは。でも私が文学に興味持ったというのは、角川文庫の『嵐が丘』なんですよ。これを読んで、もう私は、こういう世界があるのかと。いつかこれが書かれた場所に行ってみたいと思ったんですよ。

あれは高校1年のときかな。それまでそれなりに本は読んでいたんですけど、『嵐が丘』を読んだときに、こういう世界は知らなかったと、こういう世界があるんだということで、本当にここにいつか行きたいと思ったんですよ。

-実際に行かれましたか。

 それがね、ついに1995年の夏に『嵐が丘』の舞台となったハワースに初めて行きました。それまでイギリスはあちこち行っていたんですけど、ついぞハワースまで足を伸ばす機会がなくて。ロンドンにいるときに、「よし、行こう!」と決心して汽車に乗って、乗り換えて、それでハワースに行ったんです。ハワースは小さな村で昔の風景がそのまま残っています。その後、冬の入り口あたりに行って、都合2回行きました。

夏はヒースの花が咲き誇ってきれいな、正にパラダイスなんですが、もう冬の入り口だと、これが荒涼たるところなんです。小さな村で、だから人の密度も濃いんですよ、つき合い方でも。この気候の厳しさと風景の荒涼さと、これは人間関係ストレートにいかないなと感じましたよ。『嵐が丘』に出てくる、ねじれたよじれた人間関係というのは、この風土を背景として生まれるんだろうな、と実際にその土地を訪れてみて、改めて思いました。それくらい好きな作品で、私はやはり『嵐が丘』だな。

-それがきっかけで英文学に?

 結局ね、きっかけというよりもどこかに残っていたんですね。私は高校の教員になるつもりで大学に入って勉強していたんですけど、あのころ学生運動が盛んで授業がろくにできなかったんです。けれども、出口先生の英米史という授業があって、そこで詩のレコード、それこそ、あれはおそらく丸善で買ったレコ―ドだと思いますが、ワーズワースの詩の朗読のレコードを聞いたときに、「ああ、そうかこれが英文学なのか」と思って、それで、じゃもう詩をやろうということになって、そこで英文学のほうに切り換わったんですよ。

-次に 、『 イギリスに花開くヘレニズム 』(丸善 プラネット刊)について伺います。執筆のきっかけを教えていただけますか。

 まず、ジョン・キーツと「エルギン・マーブル」という古代ギリシャ時代に作られた彫刻との出会いについて書きました。キーツは具体的な美に対する意識というのを常に持っていたのではないかと考えています。彼は観念的に語る詩人ではないし、極めて視覚的な造形的な詩人ですから。それを語るのに、この「エルギン・マーブル」との出会いのシーンが欠かせないと思っています。

もう一つ、10年前に新書で『聖書神話の解読』というのを出して、それは私のドクター論文もそうなんですけれども、ヘブライズムの神話を背景に置いてキーツの作品を分析したのがそのドクター論文なんですけれども、この本、『Keats's Myth of the Fall』というのは、大体そういう本なんです。

要するに、ヘブライの神話のほうからキーツを読むと、こういう解釈ができる。だったら今度は、もう一つのヨーロッパの潮流であるヘレニズムとローマの方からキーツの詩、あるいはロマン派全体の詩というものを見たらどうなるだろうかと、そういう2つの意識が自分の中にあったんです。

19 世紀初頭のイギリスにはいろいろな遺跡の出土品や遺物が入ってきていて、「ジェントルマンズ・マガジン」などの雑誌にその記事が掲載されていて、そういった記事を随分持っていたので、それを整理して少し書いてみて、これは行けるんじゃないかということで、たまたまサバティカル(研究休暇)を取りましたので、それでロンドンに行って具体的に「エルギン・マーブル」を検証して、読んだことのなかった文献を読み漁ってかなりがっちりした感じになってきました。

ただ、今、これはまだ私にとっては中間報告であって、要するに啓蒙的な、まず知ってもらおうということが目的ですので読み易さが第一で、煩雑になるから「注」も一切つけなかったんです。17世紀の終わりから18世紀にかけて19世紀まで続く、啓蒙思想の流れの中にこのヘレニズムというのはあるんです。ヘレニズムの復興というのは。

イギリスのロマン派について、よく「啓蒙思想に対する反発としてロマン主義が生まれた」なんていう能天気な言い方をする人がいるのですが、それはあまりにも皮相的で、ロマン主義というのはしっかり啓蒙思想の波に乗っているところがあります。その一つの典型が、この「エルギン・マーブル」であり、ヘレニズムの復活です。だから、その文脈でロマン派の運動を総括するというのが、私の最終的な目標なんです。この本はいわば中間報告といったようなものになっているんです。

-ロマン派というのは何との対比でロマン派と言うんですか。

 古典主義ですね。

-古典vsロマンという流れということですか。

 そうです。だから18世紀は、18世紀の初めの方ですけれども、特に新古典主義という、その影響力、Augustan geという時代がありましたけれども、あの時代に大体18世紀の文学の流れっていうのは、前半、中間辺りまで、折り返し辺りまでは新古典主義が支配する。

その新古典主義というのもこのヘレニズムとも手をつないでいるわけですから、それが19世紀まで来ていると。ロマン派がそこに登場するときには、やはりこれがあると。

古典というのは、ギリシャ・ローマなんですけれども、要するにキリスト教を論じると、右か左かという政治的な思想とどうしてもくっつくんです、イギリス社会では。だから、食事の席で政治の話はしない、宗教の話はしないという一種の暗黙の了解があります。

ところが、ヘレニズムというのはこれができるんですよ。つまり、ヘレニズムは直接的には宗教と結びつかない。しかも古典の社会というのは、右派にとってみれば、国家に対する忠誠と秩序を育むという、その大きなスタンスがある。左にとってみれば自由平等の原理がある。ギリシャは特にそうです。だから左にとっても古典主義、ギリシャ思想というのは、これは目標にすべきものであり、右のほうにとっても国家に有用な人材を育てるためにこのヘレニズムは有益であるということで、どちらも反対をしない。それで、食事の席でも十分に話題となり得るというところで極めて有利というか。だから、どうも日本で知られてはいないかもしれないけれども、このヘレニズムというもののイギリス社会への影響は大きいんですよ。

ロンドンの街を歩いたってゴシック風の、ゴシックというのはイギリスということなんですけれど、ゴシックの大聖堂がありますが、一方で、例えば大英博物館はヘレニズムの建物ですが、その2つが並立しているんです。

ゴシック、つまりキリスト教、それからもう一つはヘレニズム、グレコ=ローマンという異教、この2つがイギリスの社会の中でいまだに街を見ただけでも分かります。その両輪があの国にはあるんですね。いまだに生きているんです。

-さっきのお話の中で、ヘブライ・クリスチャンというものが一つ軸としてあるとおっしゃったんですが、クリスチャニティーは分かるんですが、どのようにヘブライという要素が侵入したのでしょうか。

 ヘブライズムの上にクリスチャニティーがあるんですよ。だからこれはひとつの流れであると考えることができるわけです。要するにキリスト教というのはユダヤ教から分かれたわけですから。根っこは全部旧約聖書です。イギリスに根づいているのは、直系としてのヘブライズムの上に乗っかったキリスト教の社会である、ということなんです。

-今、そのクリスチャニティーも元はユダヤの宗教だという意識はあるのでしょうか。

 ないですね。今や、もう誰も思ってないでしょ。ヘブライ人、要するにユダヤ人ですから。ユダヤ人にとってもキリスト教徒は異邦人ですからね、異教徒ですから。

-もう一つ、グレコ=ローマンといったときに、ヘレニズム以前から、そのグレコ=ローマンの流れがあるということだったのかと思ったんですが。

 いや、ギリシャがあって、その後にローマが来るわけです。ローマは後なんです。だからグレコ=ローマンの時代というのはまた別にあるんですけど、一般的にグレコ=ローマンというとギリシャ、ローマ、それに対してヘブライ・クリスチャンという言い方があるんですよ。その2本が西洋の文化の柱なんですよ。

まず一方を見たんですけれど、一方だけでなくこっちもやりたいなという意識が私のどこかにあったんです。だから、今度こっちをやろうという気になったわけです。

-そのときに、基本的にイギリスというのはローマ帝国の一部で、グレコという、ギリシャの要素、流れはどこから入ったんでしょうか。

 そういうことではないんです。要するにイギリスは西ローマ帝国ですけど、ギリシャというのは東ローマです。本来、イギリスは、東ローマ、ビザンチンと全く縁のない世界だったんです。だからギリシャというと西ローマのフィルターを通して見ているギリシャでしかなかったんですよ。だから古典といったら、まずローマ。それから、そのローマを醸成したのが実はギリシャだという意識が生まれてきたのは、その啓蒙の時代なんですよ。

-なるほど。そうすると、ヘレニズムの典型が実際に目の前に現れたときに、これがそうかと、みんな初めて実際に目にしたと。

 そう。その典型が初めて入ってきたのが、この「エルギン・マーブル」だったんですよ。これがギリシャのオリジナルだ!というのを初めて見たわけです。そこで度肝を抜かれたわけです。

-わかりました。その「グレコ=ローマン」という言葉があまりよくわからなかったのですが、どういう流れなのかなというのが理解できました。

この本の中に、エルギン伯という人物が登場して、ギリシャから石の像を運んでくるという壮大な計画を実行したと、本の中にはサラッと書いてありますが、これはもう映画になりそうなストーリーですね。皆に知られている話ではないですね。

 だから、それを知らせようと思って。大英博物館へ行って見れば皆ウワーッすごいと思うんだけれど、そこまで足を運ぶ人は限られているわけですから。日本人なら大英博物館へ行っても、皆エジプトの幽霊のほうへ、ミイラのほうに行っちゃいます。こんな石はサーッと見て、さっさっと行っちゃいます。だからそこで足をとめて、これ全部運んできたんだよといってじっくり見ていただきたいと。

-今、観光地になっているギリシャのバルテノン神殿が廃墟であったと、そんなことは今想像できませんし、そこからこんなに大きい石を運んでくるということも、現在の我々は想像もできません。

 もう大事業ですよ、これは本当に。

-何万ポンドというお金が出てきますが、この価値はどのように考えたらいいんでしょうか。

 35,000ポンドって。一般の労働者の年収が50ポンドでした。

1年で50ポンドですか。

 1年で50ポンドと考えられます。これが一般庶民。50ポンドから100ポンドです。工場労働者は50ポンド未満ですね。だからジェントルマンというと、300ポンドぐらいじゃないとジェントルマンの階級にはならない。

貴族の5階級があって、DukeからMarquisEarlViscountがあって、Baronがあって、一応ここまでが貴族で、タイトルはロード(Lord)です。その下にBaronetがあってその下にKnightがあって、タイトルはサー(Sir)。そこから下がジェントルマン。名前に「ミスター」がつきます。

この人たちで年収が200300ポンドで、一般庶民だと50ポンド。年収がそのぐらいの時代ですよ。

-このエルギン伯は、何でそんなにお金を持っていたんですか。

 いや、ないですよ。そんなエルギンの給料といったら年間で6,0007,000ポンドですから、大使としてそのぐらいですから。だからこの石の像をとにかく国家に買ってもらわないと維持もできないし、「とにかく払ってくださいよ、国の宝になりますから」ということで折衝を開始したわけです。エルギンはそれまで銀行から年利で18%の借金していました。

それで、その高い金利で何万ポンドと借り入れて、金利抜きでエルギンが使ったのは5万ポンドを超えるんですよ。あとは、金利を入れると7万ポンドを超えるというぐらいの事業を背負ったわけですから。売れるか売れないかわからないけど、とにかくこれをイギリスに持って帰って、母国の一番遅れている彫刻の分野が大陸に水をあけられているから何とかしようじゃないか、ということで持ってきたわけです。

-大陸というのは、ナポレオンの、エジプトの?

 ヨーロッパということ。

-これを持って帰って、結局、キーツたちが見たのは国が買ってくれてからですか。

 そうです。18173月にキーツは見ているんです。1816年に買うことが決まって、展示がその秋から始まっています。その翌年の1817年の春に公開されていたときに、キーツは、そこに出てきますが、ヘイドンという友達の画家に連れられて初めて見たときに言葉を失って、そこでしばらくジーッとしていたそうです。

その後に詩を書くんですけれども、短いソネットを2本書いたんですけれど、直接的な反応はそれだけだったんですが、他の、その後に書かれる作品の中の造形的なイメージというのはものすごく強いんです。読んでいくと、これ、「エルギン・マーブル」とか、それから、「ポートランドの壺」だとか、「バッセイ・フリーズ」といったようなイメージが、見て体験してそれをしっかりイメージとして抱え込むと、詩の中に読み込めるんですよ。

-当時から、ギリシャのことはよく知られていたんですか、その神話などは。

 ギリシャ神話は文献としては中世、そしてルネッサンスの時代から入ってきています。ところが、この啓蒙時代の特色というのは、その古典文化がビジュアルに入ってきたんです。それはやはりインパクトが強いんですよ。

古典のギリシャ・ローマの文献を読める人というと限られているし、極めて限られた広がりしかありませんでしたが、一般に公開されると、「これがギリシャか、これがローマか」というのが、もういっぺんで理屈抜きで分かるわけですから、その影響力は大きかったんです。

だから、ウェッジウッドが有名な「ポートランドの壺」の複製を作りましたが、こういったギリシャの意匠を生活の中に取り入れるっていうのはウェッジウッドに先見の明があったということですね。

-当時は、こういったビジュアルをどのように伝えていたのでしょうか。

 版画です。

-では、この像のたくさん版画も制作されましたか。

 作られました。版画集が発売されましたし、版画がペラで売られるということもありました。

-そうすると、当時のイギリス人は、上層から下層まで皆がそれを見たと。

 当時、一般的に小説とか詩を読む人口が増えていますから、そういうところに版画集が送り出されると、実際にそれを見て、じゃ、ちょっと見に行こうかといって大英博物館に見に行くというような人は随分いたわけですよ。

-博物館も誰でもが入れるところだったのでしょうか。イギリスというと非常に階級社会的なイメージがありますが。

  まあ、それはありますけれども、「社会資産を国民に与える」という意識は昔から変わらないですからね。そこは懐が深いんですよ。無料ですから誰でも見に来ることができる。我が大英帝国は、これを諸君に提供できるだけの力があると。その懐の深さでしょうね。

-そうすると、高いクラスの人たちの遊びというのではなくて、庶民も楽しんだんですね。

 そういうことです。一般庶民まで見ることができると。

-そうすると、キーツの詩作も庶民が読んだのでしょうか。

 まあ、詩を読むというのは、詩自体がある程度読んで判断できる人たちっていうことで、先ほど言った収入50ポンド未満の一般の工場労働者たちが読むというものではもちろんないわけですけれども、いわゆるミドル・クラスの人々というのは、それだけの余力がありますから、詩集を買って読んだんだと思います。

-「ミドル」というとどれくらいのクラスの人ですか。

 収入が100200ポンド。例えばジェントルマンが300ポンドだとすれば100300ポンドまでがミドル。ミドルには3つあるんですね。ローワー・ミドル、ミドル・ミドル、それからアッパー・ミドル。アッパー・ミドルだとジェントルマンぐらいの収入があるんですよ。

-一体どれぐらいの人口がいたんでしょうか。

 1801年に最初のナショナルセンサス(国勢調査)が行われたんです。そのときの全部の人口が1,200万人ぐらいだったかな。ロンドン、ミドルセックスの人口が1801年の人口調査でおよそ90万人。ですからこれの10倍だから、イングランドとスコットランド、ウェールズを合計すると1,000万~1,200万の人口だったんですね。そのうちの4%が貴族とそのすぐ下の階級です。この4%でほとんどの富を押さえているという形ですね。

4 %ぐらいだと庶民からすれば気にならないような存在ですね。

 気にならないですよ、全然違う世界、及びもつかない世界ですから。

-ジェーン・オースチンが貴族の世界を小説にしていますが。

 だから、このミドル・クラスの辺りの人が、「ああ、そういう世界があるんだ」と。これより下の人々には及びもつかないですよ、そんな貴族の世界なんて。たった4%しかいないんだから。

バイロンなんかは。

 バイロンはBaron(男爵)です。

彼らはどうなんですか、逆に貴族社会に対して嫌気が差すというか。

 バイロンは世俗的なところがありますからね。お金はないんですよ、そんなに。現金収入っていうのは。この辺りのBaronなんかになると。ただ、金がないといっても、この連中が「ない」っていうのと、下層の「ない」っていうのとでは、もう桁が違います。バイロンが、金がないと言って家屋敷を売っちまえと売ってしまった屋敷、ニューステッド・アベイが今も残っていますけれど、それは97,000ポンドで売れました。バイロンはそのうちの500ポンドを投げ打ってギリシャのために戦艦をつくってギリシャ独立運動に駆けつけたというんです。500ポンドといっても、年収50ポンドの人が10年かかるわけです。それをポンと出すという。桁が違うんですね。

-では本のお話はここまでとして、先生のプライベートについて伺いたいと思います。先生のご趣味は何ですか。

 料理です(笑)。

-どんなお料理を?

 普段はもううちで晩飯を作って。大体私が晩飯を作っています。あとは私、秩父に山の家を持っていて、そこに学生がよく泊りに来るんです。そこで料理を作って出します。一晩飲んで食べて明かすという、たまにそれをやるんですよ。

-お料理は勉強されたんですか。

 いや、見よう見まねで。あと京都にいるときにずっと通い詰めた料理屋のママがよく教えてくれたんですよ。

-和食を。

 和食です。

-懐石料理を作られるとか。

 そんなのはできないですよ(笑)。この材料を使うときはこういうものをというポイントをいろいろ教わってそれを自分なりにアレンジして。料理は面白いですよ。失敗するときもあるけど。

-それはレシピを見ながらですか。

 自分でレシピを書いて。もう随分たまりました。

-ご自分でレシピを書かれるんですか。

 はい。だから、学生が「本を出せ出せ」と言って。

-それもいいですね。

 そこまではまだできないよ、と言っています(笑)。

-英文学をやっていて、その先生だからイギリスの料理かと思いきや。

 だめ、私は和食だから、と言って(笑)。

-イギリス料理はあまり世界に知られていないと思いますが。

 いや、決してそうではないんです。このごろはすごいですよ、イギリス料理は。ロンドンに世界料理コンクールでトップを取った若いシェフがいるんです。彼がレストランを出して、そこなんか今ウォーターフロント辺り、シティの、あそこがすごいんですよ、もうモダンなレストランばっかり。「これ、イギリスの料理かよお」っていうような、パリじゃないかよって、そんなお店が出てきていますよ、今は。だから決してまずくない。テレビの番組でも料理番組増えています。昔はなかった。

-お客様に必ず出すというお気に入りのレシピはありますか。

 いや、必ずというよりも同じメンバーがよく来るので、必ず何か新しいものを1つ入れるんですよ。今までダブったものはあっても、その中の1つだけ新しいものを入れて、「これ、どうだ」というふうにして出します。

-最近、好評だったものは。

 これはね、珍しくジビエですね。

-ジビエといったら野生動物の。

 日本だと大体使われるのがイノシシとか、それからカモとか、それから普通の鳥とかウズラ、その辺りなんです。ところがロンドンに行くと、スーパーでパックで売っているんですよ。イノシシ、それからウサギも。

-シカとかもですか。

 シカ。それからウズラ。生肉がパックになって売っているんです。ロンドンにいるときに買ってきてパックを開けたら、もう、とんでもない臭いで。部屋中に、ブァーッと臭いが広がって(笑)。

それにローズマリーやタイムをとにかくバーッと入れるんですよ。日本で作るときはローズマリーもタイムも適当にやるんですけれど、ロンドンでは、これだけはもうとにかくものすごい量を使いました。それで塩加減して1日冷蔵庫に置いておくんです。それを油で煮るんです。低温の油で2時間ほどかけて。2時間ほど冷ますと、えもいわれぬ味になる、ジビエは。これが美味しい。

-その作り方はどこで教わったんですか。

 まずロンドンでやってみた。そのレシピを聞いたものだから。それで日本に帰ってきて、割と大人しい目の肉でやってみたんですけど、それはそれなりにおいしいですよ、肉が。あれは評判いいですね。

-東京だと紀伊国屋でウズラの肉などを売っています。

 そうです、紀伊國屋と中身はだいたい同じですけれど、ロンドンだと肉がもっと大きい。そこで、そういうジビエに使えるような肉が普通に冷蔵庫にポンと置いてあります。ウズラもこんな大きいのが。普通のウェイトローズのスーパーで売っているから驚きましたね。やはり人種が違うなと思いました。

-そういった肉は狩りでしか獲れませんよね。

 そうですよ。それをスーパーでパックで売っているというのは、日本じゃ考えられないですよね。

-シカは「モミジ」といって日本人は昔から食べていました。

 食べています。秩父では食べています。シカはくせがないもの。日本でもそうだし、イギリスやヨーロッパでは昔から、特に修道院ではシカ肉はごちそうでした。

-今は、シカを食べる機会ってそんなにたくさんありません。

 秩父に行くと、しょっちゅう食べますよ。みそ漬けにされて売っているから。安いですよ。

-先生がお料理されるとなると奥様が楽でいいですね。

 まあ、私、料理が好きだから。かみさんは出歩かないと、マグロと同じで止まっていると死んじゃうと(笑)。かみさんは東海大学なんで、2時間かけて車を運転して行って2時間かけて帰ってくる。それを週3日やって、あと研究会があって、というようにしょっちゅう動いていますよ。私はもう週に3日しか外へ出ないから、あとの4日は家にいますので私は料理担当(笑)。

-最後に読者の方に、ひとこと頂戴できればと思います。

 少しの知的興奮を味わってください、と。

-ありがとうございました。

イギリスに花開くヘレニズム

-パルテノン・マーブルの光と影
西山清著  丸善プラネット刊 2,730円(税込)
啓蒙時代の後期にあたる十九世紀初頭、大英博物館に「エルギン・マーブル」と呼ばれる一群の大理石像が展示された。駐トルコ大使のエルギン伯がギリシアのパルテノン神殿遺跡から持ち帰ったこれらの群像は、ヨーロッパの造形芸術にも大きな影響を与えることになる。大理石群像をめぐる人間模様と、群像の文化的価値を実証的に論じた書。

西山清先生 著書

聖書神話の解読世界を知るための豊かな物語

美神を追いてイギリス・ロマン派の系譜 出口保夫先生退職記念論文集( 音羽書房鶴見書店

妙なる調べキーツ秀作詩 桐原書店 E.R.ワッサーマン (), 西山 清 (翻訳)

Keats s Myth of the Fall (北星堂書店)

Centre and Circumference (桐原書店)

『聖書神話の解読』(中公新書)

『イギリスに花開くヘレニズム』(丸善プラネット)

『妙なる調べ』(E.R.マッサーマン著・桐原書店)

『エンディミオン』(J・キーツ作、鳳書房)

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